メンタル食堂。うつ始めました

社員20万人を超える大企業で部長職にある50代男。うつ病、対人恐怖、視線恐怖、会話恐怖、自殺未遂、女性を好きになれないなどの苦闘の記録

打たれ弱さを認める

復職するに当たり、自分にはどんな

仕事ができるのかと自問しました。

 

今回、休職に至った一番の原因は、

自分がリーダーを務めるプロジェクトが

とてもうまく行きそうにないと

絶望した事にあります。

 

とてもうまく行きそうにないの

その先にある、上司からの叱責という

自分にとっては耐え難い結果に

自分は絶望したんだと思います。

 

改めて、自分の打たれ弱さを

自覚しました。

 

思えば、入社以来、この「打たれる」を

いかに回避するかを

最優先事項として仕事してきた

ように思います。

 

自分の仕事のポリシーとして、

計画的に進める、進捗をチェックする

結果を必ず出す、という事を

軸足にしてきましたが、これはある意味

失敗を恐れての事だったのかな、

と思います。

 

わたしは、それなりに仕事でも

実績を残し、会社からも能力を

評価されていたと思います。

 

ただし、わたしは失敗しそうな仕事には

決して手を出しませんでした。

見通しの立たない仕事は徹底して

避けてきたのです。

 

それはひとえに結果が出なかった事に

対する批判、非難を極度に恐れていた

からに他なりません。

 

チャレンジというのは出来そうもない

事に挑戦するという意味と捉える

ならば、私はチャレンジをしてこなかった

とも言えます。

 

あくまで、計画的に進めれば、必ず

結果が出るであろう仕事を選んで

やってきたにすぎない。

 

では、これを変える事ができるのか、

という事ですが、ほとんど無理だと

思います。

 

打たれ弱さ、メンタルの弱さを克服

するのは至難の業でしょう。それは

もう持って生まれた気質だと

思うので。

 

世の中とかく、メンタルの強さを

評価し、メンタルの弱さにダメ出しを

する風潮が強いと思います。

 

少し批判されただけで、病んでしまう

のはダメな事と思われてしまいます。

 

でも、ネットで誹謗中傷された人が

自ら命を絶つ事という事も実際には

あるわけです。

 

それぐらい、自らを否定されると

いう事は、

人間にとってものすごく大きな事で

あるとも言えます。

 

同じ批判でも、反応は人によって

様々でしょう。自分に対する批判と

いうものは、自分の存在を脅かす

ある種の暴力とするなら、

フィジカルの強さと同じように

メンタルの強さにも個人差があり、

耐性にも個人差がある。

 

今まで、自分が打たれ弱い事、

メンタルが弱い事について

他人にそれを認める事を

避けて強がってきました。

 

復職するにあたっては、打たれ

弱さを認めた上で、それをプラスに

変えながら、やれることをやる、

結果を出すという事に注力したいと

思っています。

休職と沖縄

休職中に沖縄那覇に来ています。

 

5日目の今日、自宅に戻ります。

 

那覇では、1日10キロのランニングを

課し、本日は20キロを走り、

トータル53キロとなりました。

 

日が出ていた事もあったので、

結構日焼けしました。

 

ランニングの後は、食事とお酒。

 

ステーキを堪能しました。

沖縄発のやっぱりステーキ。

初めて行きましたが、オススメです。

 

その後、ホテルでうだうだ過ごしました。

 

夕飯は近所の食堂で、お袋の味を

楽しみました。

 

焼肉、カツカレーなど、安くて

美味くて、ボリュームたっぷり。

 

間違いなく、食べ過ぎました。

 

休職明けは、焼けたなー、とか

太ったなー、とか言われそうです。

 

休職中だという罪悪感はあまりなく、

いつもの長期連休と同じ感覚で

過ごしました。

 

明日は、メンクリに行って、

うまくいけば、復職の診断書を

作成してもらう予定です。

 

 

 

生まれながらのおひとりさま

最近おひとりさまブームなのかなと思う。

 

おひとりさま歓迎の店舗も多いし、

実際おひとりさまも多い。

 

自分は幼少の頃から一人遊びが大好きで

友達と遊ぶ事はほとんどなかった。

 

友達と遊ぶより一人で遊んだ方が

圧倒的に面白い。

 

一人紙相撲や一人バレー、一人卓球

などなど相手は壁であったり、

一人二役であったりした。

 

そんな自分が思春期に差し掛かり、

一人でいる事に親が心配しだした。

 

この子は友達いないけど大丈夫かと。

 

大きなお世話なのだが、世間一般的に

友達いっぱい作りましょうという

プロパガンダが盛んであった。

 

確かに世の中一人では

生きてゆけない。多くの人で社会を

形成し、役割分担し、生活していかなければ

ならない。

 

恋人を作って、結婚して子供を

作っていかなければ、国は衰退する。

 

いわば、反おひとりさまは国策なのかな、

と思う。

 

だが、どうだろう、昨今のおひとりさま

ブームは。みんな何かから解放されたように

一人で行動している。

 

今週、沖縄のパフォーマンスが売りの

ステーキハウスに行ったが、そこにいた

4組全てがおひとりさまであった。

 

個人的にはやっと市民権を得た、と

嬉しい反面、国としてはどうなのかな、

と少し心配になる。

 

生まれながらのおひとりさまである

自分が言うのも憚られるが、

国策としての、反おひとりさまも

必要なのだろうか。

 

このまま行けば、晩婚化、少子高齢化

孤独死などの問題は増える一方だろう。

 

その代わり、変に気を遣う事のない

人生を謳歌する事ができる。

 

それが、人間として自然の事であるなら、

無理して群れる必要もないだろう。

 

もし人間が一度絶滅したとしても、

新たな種、おひとりさまなどあり得ない、

人間種が生まれて、社会を形成していく

のかもしれない。

 

思春期以降、友達がいないことに

ひどく悩み、対人恐怖症や視線恐怖症

なってしまった。

 

今の世の中、そういう友達作ろうよ、

という同調圧力は少しは柔らいだのかも

しれない。

 

ただ、おひとりさまブームとは言え、

完全なる市民権を得ているわけでもない。

 

やはり、ファミレスに一人は居心地が

悪いし、テーブルの焼肉屋に一人で

入るのは憚られる。

 

そういう中で、おひとりさま向け施設が

増えていることは喜ぶべきなのかもしれない。

 

会社以外では決して誰とも交わらない

自分としては。

うつ病の表現法

渦中の女性内閣広報官が体調不良を

理由に辞任した。

 

この体調不良というのは、世間から

強烈にバッシングされたことによる

抑うつ状態だったに違いない。

 

しかし、表現方法として抑うつ状態、

ましてやうつ病などという表現はせず

体調不良という事にするのが慣例だろう。

 

私が今回休職した際、

職場の皆さんにオンラインで説明する際、

単に体調不良とするのか、それとも

正直にうつ病というのかを考えた。

 

結果、正直にうつ病という事にした。

長期に渡り休む以上は、体調不良という

あいまいな表現で自分を守るのではなく、

潔く告白しようと決心した。

 

結果、良かったかどうかはわからない。

 

有名お笑い芸人でも、長期休養した際、

決して、うつ病でしたとは言わない。

 

頭がパッカーンしてしまいました、とか言う。

まあ、上手い言い方かもしれない。

 

どうもうつ病とかうつ状態という言葉は

直接的に聞くと頭に残ってしまうし、

後々のイメージも悪くなる。

 

その中で、3人組お笑い芸人のリーダーが

自分はうつ病である事を告白し、

数ヶ月間の休養を取ったのは、ある意味

衝撃であった。

 

きっと、曖昧な事を言って休むのが

自分の行動として許せなかったのだろう。

 

その事が自分の今回の休職に当たっての

行動に影響を与えている。

 

今の皇后様は適応障害という聞き慣れない

病名で休養された。

これは宮内庁始め、苦肉の策だったような

気がする。

 

宮内庁が公表したのは、イギリスの記者が

雅子様鬱病という記事を発表した後

だった。

 

うつ病というイメージを嫌った事は

想像に難くない。

 

とりわけ、ひらがなではなく、漢字で

鬱病とされるとえらく悪いイメージと

なり、精神疾患の色合いがより強くなる。

 

体調不良>適応障害うつ病鬱病

 

表現によってイメージがかなり違ってくる。

それをどこまで本当の事を、どこまでの人に

打ち明けるかは難しい問題だ。

 

私ももうしばらくすれば、復職となるが、

その時、陰では何と言われるのだろうか。

 

心の弱い人、病気持ち、メンヘラー、

メンタル持たなかった奴、

などなど、みんなそういう話が好きだから

色々言われるのだろう。

 

一介のサラリーマンが、皇室の人や

タレントのようにイメージを大切に

する必要もない。

 

かといって、私はうつ病ですと言いまわる

必要もない。

 

体調不良で休んでましたでいいだろう。

髪が抜ける恐怖

私の父親は私が生まれた時、すでに

薄毛でありました。30代半ばの事です。

 

私がものごごろついた頃にはもう立派に

禿げといえる状況になっておりました。

 

幼い私は、かろうじて残っていた

中洲の部分がなくなった漫画を

書いたりして父親を笑っていました。

 

そんな自分も大学生になった頃、

自分の頭に異変を感じたのでした。

 

比較的毛量の多い、自分でしたが、

ある日、頭を洗っていて、そのボリュームが

減った事に気づいたのです。

 

よく見れば、洗髪をした手には抜け毛が

びっしりついていました。

 

その時から、私は髪が抜けていく恐怖に

さらされる事になります。

 

父親のようになってしまうのか。

毎日毎日鏡を見ては絶望の日々です。

 

抜け毛予防に良いとされる、トニックを

学生の身分で大枚をはたいて買いました。

 

頭皮に刺激を与える、たわしみたいな

機器を買ったりもしました。

 

とはいえ、振り返ってみれば、学生時代の

自分はとても薄毛というレベルではなく、

はたから見れば、何故薄毛予防?と

不思議に思われていたかもしれません。

 

その後、抜け毛が減ることはありません

でしたが、薄毛になる事もありません

でした。

 

よくわかりませんが、ヘアサイクル的に

抜け毛と同じぐらい新しい毛が生えて

いたんだろうと思います。

 

そうして、40代になり、1回目の

うつ休職をむかえる1ヶ月前ぐらいから

猛烈に抜け毛が気になりだしました。

 

1日に抜ける本数を数えたり、風呂場に

落ちている抜け毛の数を数えたり、

異常な状態に陥ったのです。

 

また、再生しない毛髪は先端が尖っている

事を知っていたので、そういう毛髪を

見つけては絶望していました。

 

もし自分がやはり、父親のように

禿げてしまうなら、死んだ方がマシ、

と思いつめていました。

 

その後、うつ休職に入ったため、

抜け毛どころではなくなり、抗うつ剤

効果もあって、あまり抜け毛が

気にならなくなりました。

 

そうして50代後半を迎え、なんとか

持ち堪えてくれた、私の頭髪。

 

私の周りにも頭の薄い人は少なからず

います。もし、自分だったら耐えられ

ないだろうな、と考える次第です。

 

もし、自分が父親と同じように

なっていたらどうなっていたか。

 

考えるだけでゾッとします。

自ら死を選んだ人たち

50年以上生きていると、自分の周りで

自ら死を選んだ人たちが少なからず

存在します。

 

父親の弟であった叔父さん。

もう数十年前でしょうか。

自ら命を絶ったとだけ聞きました。

 

借金を抱えていたとか、子供に

障害があったとか、決して恵まれた

環境ではなかったようです。

 

でも、それで死を選ぶかどうかは、

本人次第です。

 

私のうつ傾向はおそらく、父親から

血を引いたものではないかと

思っています。

 

会社の開発センターのセンター長。

就任した途端に、大きな製品不具合の

対応に追われ、得意先への謝罪行脚。

 

一方で、畑違いの製品コンペ対応の

責任者とされてしまっていました。

 

その中で自死を選んだ、センター長。

きっと大きな絶望感に包まれていた

でしょう。

無力な自分を責めていたんだと思います。

 

得意先のある開発部署の課長さん。

 

当時パワハラは普通でしたから、

開発責任者から無理難題を言われ、

叱責される日々。

 

とうとう自ら死を選んでしまいました。

 

その会社の開発センターの屋上には

高いフェンスが張り巡され、

今だにその爪痕を残しています。

 

死ぬくらいなら会社辞めればいいのに、

と思いますよね。

 

でもダメなんです。今すぐ辞めたいん

ですから。今すぐこの場から消えて

なくなりたいんですから。

 

そんなこと無理だよな。死ぬしかない

よな、思ってしまうんです。

 

でもね、死ぬというのは簡単にできる

ことではありません。

 

私も何回も試みましたが、とても

できませんでした。意識が薄れる

瞬間、やっぱり怖い、死にたくない、と

思ってしまいます。

 

それでも、自ら死を選んだ人たち。

 

その辛さたるや、恐らく私なんぞの

想像を絶するものなのでしょう。

 

昨日書いた、自ら死を選ぶ人は

ほぼ例外なく、うつ病に罹患している、

という説。

 

私はこの可能性が高いと思っています。

 

だって、同じ状況でも死なない人が

圧倒的に多いんですから。

 

ある意味、死を選ぶというのは、

残念ならが、生まれた時に決まって

いたのかもしれません。

 

 

うつ病と自殺

自ら命を絶つ生命体は人間だけ。

 

以前、NHKの番組で唯一例外と思われる

リス科の生き物について特集しているのを

見た時、聞いた言葉です。

 

そのリスは木から飛び降りて死ぬんだそう

ですが、それが自殺なのかどうなのか。

リスに聞くことはできません。

 

そういう意味では自殺する唯一の生命体は

人間だけなのでしょうか。

 

生命体の本能は生き永らえる事に

あります。

 

食べて、寝て、飲んで、呼吸して、

それは、すべて生きるため。

 

その本能に逆らって死を選択する理由は

何なのでしょうか。

 

NHKの別の番組では、自殺する人は

その前に、ほぼ全てうつ病に罹患している

という研究結果を特集していました。

 

病気にでもならない限り、死を選ぶ事は

ない。

 

これには納得です。

 

わたしも、幼少期から、死にたいと

思うことがしばしばありました。

それはまさに行き場の無い絶望感を

伴うものです。

 

でも、とるに足らない事に絶望して

いるんですね。

 

新入社員の頃、全社での社員旅行の

幹事をまかされました。その旅行は

工場のパートの方などがメインで年齢層が

高く、そういう方向けの旅程に

なっておりました。

 

なので、開発部門であり、

若手が多い自分の職場は

ほぼ全員が不参加でした。ところが、

わたしの上司が、その旅行を企画する

事務局に絡んでいて、もっと参加

させろとプレッシャーをかけて

きたんです。

 

当時、対人恐怖症がひどかった

事もあり、嫌がるみんなを無理やり

出席させるなんて、自分にはできない、

死んだほうがまし、と

絶望感でいっぱいになりました。

 

結果、死にたい、死にたいと思って

日々を過ごし、車で電柱に衝突して

死にたい、とずっと思っていました。

 

なすすべなく、迎えた締め切りの日。

もう死ぬしかないと、会社へ行く道を

Uターンし、西へ向かいました。

 

会社にも、親にも何も告げず。

 

西へ向かって、西の果てまで行って

死ぬつもりだったのですが、山口で

Uターンして、広島、神戸と戻った

ところで親に電話しました。

 

失踪から4日が経っていました。

 

滅茶苦茶騒動になっていたそうです。

当たり前ですよね。

 

今でも、なぜそんなことで、死ぬ?と

思いますが、その時は真剣なんです。

本当に絶望感につつまれています。

 

でも思うんですね。やっぱりおかしいと。

同じ環境におかれても、

一人はなんともない、一人は死にたい、

となるわけで、これはもう脳内物質の

違いに他ならないと考えるのが

自然ではないでしょうか。

 

つまり、うつ病もしくはうつ傾向が

あって、初めて絶望感が出て、

死にたくなる、という機序は

理屈に合う、と思う次第です。